今からおよそ9900万年前、古代のゴキブリの幼虫は地獄の使者に遭遇しました。
白亜紀と呼ばれるその時代に、後の世で『地獄の蟻(ヘルアント)』と呼称されることになる蟻が、ゴキブリの親類であるおいしいご馳走を、鎌のような顎と突き出た角によって捕獲しました。
そのほんの少し後、アリとゴキブリは不幸にも粘着性のある樹液に閉じ込められ、後に現在のミャンマーで琥珀となって発掘されました。
この珍しい発見は、奇妙な姿をした先史時代のアリが、どのようにして獲物を捕まえたかを我々に垣間見せてくれました。
死神の鎌に酷似した、上向きの顎が特徴的な地獄の蟻の輪郭は、現在生きている蟻の輪郭とは全く異なります。
「地獄のアリ」は俗称であり、正しくは『ハイドミルメカネ』として知られている古代アリの仲間です。
研究者たちは長い間、地獄のアリが顎を水平に動かす現代のアリとは異なり、下顎を上向きに振って獲物を捕まえていたと考えていました。
ミャンマーから発見された白亜紀の琥珀のおかげで、科学者は彼らの想像が正しかったであろうことを確認できたわけです。
「地獄のアリは白亜紀(約1億4550万から6550万年前)に生息し、1億年から7800万年前のミャンマー、フランス、カナダの琥珀の堆積層から発見されています」とニュージャージー工科大学の古生物学者フィリップ・バーデンは説明します。
バーデンと彼の同僚は、専門誌Current Biologyにて8月6日に発表されたばかりの最新の研究で、琥珀に埋め込まれた地獄のアリについて解説しました。
科学者たちが最初に地獄のアリを発見したのはおよそ100年ほど前のことです。
それ以来、彼らは16種を同定しました。
それらすべてが下顎骨と角を伸ばしています。
「古生物学者として、我々は入手可能な証拠を用いて、古代の生物たちの機能について想像力を働かせ、推測しているわけですが、遥か古代に絶滅した捕食者が、どのようにして獲物を捕獲していたのかを見える形で確認できたことは非常に貴重な発見です」とバーデン氏は述べました。
これらの古代の節足動物は、角のような付属物に対して獲物を固定するために、鎌のような形状の顎の外骨格を垂直方向に振るっていたと想像されていました。
「そのような配置から想像するに、地獄のアリが獲物を捕獲する唯一の方法は、彼らの顎が、現代を生きているアリや、ほぼすべての昆虫とは全く異なる方向に、つまり上下に動いたということです」
「2011年から2012年に、地獄のアリの研究を始めたとき、彼らが餌を捕獲する唯一の方法は、顎の部分を垂直に動かすことだと考えた」とバーデン氏は言いました。
当時、この概念は「ささやかな論争の的」でしたが、この小さな琥珀に閉じ込められた地獄のアリの存在は、彼らの仮説が正しいことを示しました。
バーデン氏は彼らの食事がどのように展開するかについて、いくつかの可能性を提供しました。
「当初、私は地獄のアリは獲物を突き刺し、虫の血のような体液を飲んだと考えていました」とバーデン氏は語った。
ところが、琥珀に閉じ込められた地獄の蟻は、ゴキブリの幼虫を捕獲はしているものの、捕食はしていませんでした。
彼らの特徴的な死神の鎌のような下顎は、不幸な獲物の体を突き刺してはいなかったのです。
バーデン氏が語った最も有望な説明は、マダガスカル出身の固有種であるドラキュラアリ(Adetomyrma venatrix)と呼ばれるアリの食習慣に似た行為だったのではないかという説でした。
「彼らには、非常に誇張され、高度に専門化された大顎がありますが、顎が大きすぎるため自力で餌を喰うことができないのです」とバーデン氏は説明した。
「代わりに、彼らは獲物を自分の幼虫に与えます」
「幼虫は特殊化されていない口器を持っているので、普通に噛むことができます」
「幼虫に餌が与えられると、次に何が起こるかは本当に地獄のようなものです」
「成虫は幼虫の腹を突き刺し、自分たちの子や兄弟の体液を飲むのです」
「彼らは、ある種の『社会的消化器官』として、彼ら自身の兄弟や子孫を使用するのです」と彼は言った。
「古代の地獄のアリの食習慣がこれに該当するという直接的な証拠はありませんが、似たような出来事が起こっていた可能性はあります」とバーデン氏は語った。
(参照:Live Science)
ドラキュラアリの学名の由来について、ナショナルジオグラフィックスの過去の特集で記載があったと記憶しているのですが、検索しても確認できませんでした。
記憶の限りということになりますが、ドラキュラアリの正式な学名は『串刺し公』とも呼ばれた15
ヴラド3世は吸血鬼ドラキュラのモデルとして知られ、ドラキュラの名は『竜の末裔』という意味のトルコ語に由来しています。
生涯をかけてオスマン帝国と戦い続けたヴラド3世は自身のことを「竜の末裔(ドラキューラ)』と名乗りました。