ベラルーシ政府は、反対派のデモ隊が日曜日にミンスクに集まったため、抗議者から国のモニュメントを保護するという名目でさらに厳重な管理を行うことを誓いました。
国防省は声明を発表し「我々は厳重に警告する。これらの場所で秩序や平和に乱れが生じた場合には、警察ではなく陸軍と対峙しなければならない」と述べました。
反対派の抗議者が独立広場に到着し始めた時、当局は拡声器を使って解散を命令し、公序良俗に反する行為をやめるよう警告し、首都には強力な治安部隊が配置されました。
先に行われた大統領選での選挙で、この国の実権を26年間も掌握した男、アレクサンドル・ルカシェンコが勝利を握ったと発表された日から2週間が経ち、全国的な反対運動が広がって行きました。
独立したオブザーバーは、この国の8月9日の投票を『自由でもなければ公正でもない』と非難しました。
そして国際社会の多くは抗議者たちとの連帯を表明し、ルカシェンコに投票のやり直しの要求に屈するよう圧力をかけています。
しかし大統領は「不満があるなら私を殺せばいい。あなたたちが私を殺すまで、新たな選挙など絶対にないだろう」と傲然と言い放ちました。
「抵抗運動に関わるものはすべてテロリストである」
「テロリストは締め殺すだけだ。鴨の首を締めて殺すように」
先週の日曜日、ルカシェンコはミンスク中心部での集会で、ベラルーシは「外国勢力」によって脅かされていると語りました。
「選挙のやり直しなどすれば、国が崩壊するだろう」と彼は述べました。
「もとより私は聖人ではない。だが私はタフな男であり、そうでなければ国は守れない」
「いかなる外圧があろうとも、私がそれに屈して何かをするなどと期待するべきではない」
国連は金曜日、抗議活動に関連して逮捕された人々と子供たちの「大規模な拷問と虐待」の報告を調査するための措置が取られなかったと報告されたことにより「さらに懸念を深めた」と述べました。
チャールズ・ミシェル欧州理事会議長は2日前に、欧州連合は「ますます懸念する状況」に関するEUの指導者たちの緊急首脳会談の後を受けて「暴力、抑圧、選挙詐欺の責任を負う相当数の個人に制裁を課す」と発表しました。
「ベラルーシでの抗議は地政学に関するものではない。これはそもそも国家的危機である」
「それは国民が彼らのリーダーシップを自由に選出する権利についてである」
「我々はベラルーシの人々が、自らの運命を決定する権利の後ろにしっかりと立っている」とミシェル議長は述べました。
「ベラルーシは8月9日に選挙を行った。これらの選挙は自由でも公正でもなかったし、国際基準を満たしてもいなかった」
「故にベラルーシ当局が提示した結果は認められない」とミシェル議長は述べ「ベラルーシの人々は民主主義に値する彼らのリーダーを自ら選び、彼らの未来を形作る権利があるのだ」と主張しました。
ミシェル議長はまた「平和的な抗議者」に対する「衝撃的で、到底容認できない」暴力を非難しました。
ベラルーシで起こっている『前代未聞』の暴力弾圧について、いくつかの証言が寄せられています。
アリーナ(20歳・女性)の証言
私は8月9日から10日にかけての深夜、ミンスクでオーモン(この国の特殊部隊のことです:翻訳者注)に遭遇しました。
私たちは抗議行動などしていませんでしたが、それでも彼らは私を地面に投げつけました。
そして彼らは私たちをバスに押し込みました。
彼らは私たちを警察の拘置所に連れて行きました。
入り口には「さっさと歩け、×××!(決して訳してはいけない言葉です:翻訳者注)」と叫ぶ男が立っていました。
私は「なぜあなたはそのように私たちに言うのですか?」と言うと、彼は私の首をつかみ壁に叩きつけました。
彼らは私たち合計13人の女性を4人用に設計された監獄に入れました。
夜が明け、正午ごろ、私たちは皆空腹で、24時間食べていなかったことに気づきました。
代金を払うからと言って食べ物を求め始めました。
彼らは答えました。
「だめだ、畜生ども。お前たちは誰に投票するべきかわかっていない」
私たちはこの言葉にショックを受けました。
私たちは『決して反対運動に関わらない』と書かれた誓約書に署名するように強要されました。
「これに署名しなければどうなるのですか?」と私が問うと、彼らは「お前達をレイプする。後20日間ここに留置する。たっぷりと可愛がってやる」と言われました。
私はショックを受けて泣きました。
私の涙はその誓約書の上に落ちました。
私は『同意します』と書いて署名しました。
セルゲイ(25歳・男性)の証言
私たち、約20人は床に投げ出されました。
複数の人々が折り重なっていました。
手錠をかけられた人々の手は腫れ上がっていました。
誰かが苦痛を訴えれば、容赦無く警棒や盾で殴りつけられました。
看守は床に横たわる私たちの上を踏みつけて歩き、ブーツを首に押し付けて窒息させようとしました。
踏みつけにされた人は息ができず、苦しみ、踠いていました。
「お前らが死んでも知ったことではない」と看守は言いました。
彼らは私を怒鳴りつけ、這いつくばるように命じました。
そして彼らは私を殴打し続けました。
それがしばらく続いた後、私は頭から出血しているのに気づきました。
何度か気を失いました。
解放された後、私は病院に行きました。
私は3箇所の深い裂傷を負っており、手術を受け、12針縫いました。
ニキータ(29歳・女性:ロシア人ジャーナリスト)の証言
残酷な光景は、彼らが私たちを連れて行ったモスコフスキー警察署で始まりました。
彼らは私たちの腕を捻り上げ、床に叩きつけました。
床にはおびただしい量の血と排泄物が溢れていました。
頭を上げることは許されませんでした。
最悪の出来事はその後に起こりました。
彼らは私たちを警棒で滅多打ちにし始めました。
私たちに唯一できることは、呻き声を上げることだけでした。
彼らは私たちを20から30の監獄に入れました。
そこには換気がなく、1時間後には全身汗まみれになりました。
彼らが私たちを刑務所に連れて行ったとき、彼らは私たちに言いました。
「人生に別れを告げなさい、ここであなたたちは殺されるだろう」
しかし、驚いたことに、その後は問題なく扱われました。
私はそこで約4時間過ごしました。
それから大佐と呼ばれた人物が私の前に来て、私は解放されました。
ロシア領事館の職員を名乗る男が出口で私を待っていました。
彼は私に、ベラルーシからの即時追放と、5年間の再入国の禁止を言い渡し、そのまま私をスモレンスクへと連れて行きました。
今回も複数の記事を再構成して投稿しました。
‘If you croak we don’t care’
これはBBCの記事のタイトルにもなっています。
「croak」は一般には「鳴く」とか「喚く」という意味の単語ですが、実はこの単語は人間を対象にした動詞ではありません。
主に動物や家畜に対して用いる言葉であり、この言葉を人に対して用いる場合「断末魔の叫び」を意味し、転じて「死ぬ」という意味になります。
最初にこの文章を見たときは驚き、悩みもしましたが、俗語を踏まえて「お前たちが死んでも構わない」と訳すことにしました。
残念なことに、そして悲しいことに、たぶんそれが正解なのだと思います。
ベラルーシと同じく、ロシアにも反体制派は存在しています。
ベラルーシの反体制運動が成功してしまうと、ロシアの反体制運動が触発され、勢いづく可能性があり、その意味でルカシェンコとプーチンは共通の利害があります。
仮にベラルーシの反体制運動が今以上に加熱した場合、プーチンはルカシェンコと約束した『包括的支援』を実行してくる可能性もあります。
そうなると欧州を巻き込んだ『地政学的危機』に発展してしまう可能性があり、EUや、あるいはNATOは意外に苦しい立場にあります。