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日本の精神病棟の悲劇と現実

by 黒岩留衣
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大畑和也氏は、睡眠に問題があり、統合失調症と診断された後、精神科病棟に何度か自発的に入院しました。
しかし2016年、彼が40歳の時、それは彼の最後の入院となりました。

 

入院してから8日後、彼はベッドに縛りつけられました。
そして6日後、拘束から解放された時、彼は死亡していました。

 

彼の両親である父親のマサヒロさん(70歳)と母親のスミコさん(68歳)は、少なくとも7回は、息子を病院に訪ねようとしましたが、全て断られたと語っています。
彼らは、自分たちの息子が拘束されていたことを知らされなかったと主張しています。
そして、彼が入院してから2週間後、愛する息子が死亡したという電話がかかってきました。

 

「私たちの最大の後悔は、彼に会えなかったことです」
東京の北西約180マイルにある石川県金沢市の実家でマサヒロさんは言いました。
「もし私たちが彼に会っていたら、何が起こったのかを理解し、そして何かが起こる前に彼を実家に連れて帰ったでしょう」

 

日本には巨大な精神医学産業があり、長い間、公の監視の外で運営されてきました。
しかし、元患者や親族が損害賠償を求めて訴訟を起こすにつれ、長期にわたる監禁、身体的拘束への過度の依存、なにより残酷な治療の物語が明るみに出ています。

 

「日本では精神科産業は大きな力を持っています」と京林大学の精神科教授であり、日本と他の3か国の精神科病棟における身体的拘束の有病率に関する新しい研究の第一人者である長谷川敏夫氏は述べています。
「しかし、私たちは、ようやく人々がこれについて率直に話すことができる段階にあります」

 

長谷川氏の研究は、その種のパイオニア的なものであり、Epidemiology and Psychiatric Sciences journal(精神医学と疫学をカバーする、季刊の査読付き科学ジャーナル)に掲載されました。
日本の精神病患者は、アメリカ人の患者の約270倍、オーストラリア人の600倍、ニュージーランド人の3,200倍も身体的拘束を受ける可能性が高いことがわかりました。

 

過去数十年で多くの国が地域密着型のメンタルヘルスケアと新しい治療法の使用に移行したものの、日本は反対の方向に進んだと長谷川氏は述べています。
日本は精神病患者のための病床の大規模な拡張に従事しました。
そしてそれは病院の利益を維持するために、ベットが満たされている必要があります。

 

長谷川氏によると、訓練を受けた医療スタッフが著しく不足しているため、患者が自分自身や他の人に危険を及ぼす可能性がないとしても、患者をベッドに縛り付け、腰、手首、足首を拘束することに依存していると言います。

 

何日も動かないため、深部静脈血栓症のリスクが高まります。
これは、長距離フライトの乗客に影響を与える可能性があることから「エコノミークラス症候群」と呼ばれることでも知られている症状です。

 

この国は高い自殺率とメンタルヘルスに関する広範なタブーに長い間苦しんで来ました。
この驚くべき、そして悲しむべき調査結果は、日本の精神病患者にとって暗い状況を描いています。
多くの人々が自分たちに向き合ってくれる場所がないと感じているのは当然のことだと言えるでしょう。

 

日本のメンタルヘルスシステムは、双極性障害に苦しむニュージーランドの英語教師が日本のベッドに10日間拘束された後、亡くなった2017年に国際的な注目を集めました。
日本の読売新聞は、過去4年間だけでも、日本での身体拘束により47人の患者が死亡したと報道しています。

 

長谷川氏によると、日本の11の病院を調査したところ、ベッドに縛り付けられた患者は平均96日間入院していたとのことです。
また厚生労働省の調査によると、1人の男性は15年以上も拘束されていました。

 

統合失調症の患者である大畑さんの場合、病院は当初、心不全で亡くなったと報告していました。
彼の両親は別の剖検を依頼し、彼が緊密に拘束されたが故に深部静脈血栓症を患っていたことを突き止めました。

 

2020年、画期的とも言える判決が言い渡されました。
名古屋の高等裁判所は遺族に3,520万円の損害賠償を認め、拘束は「違法」であると結論付けました。
日本の裁判所がこのような判決を下したのは過去に前例がなく、病院側は日本精神病院協会(JPHA)の全面的な支援を受けて判決に異議を唱えています。

 

JPHAの山崎学会長は、ほとんどの場合、身体拘束は適切に適用されていると主張しています。
ほとんどの問題は協会に属していない約300の病院で発生したと主張しているのです。
仮に大畑さんの遺族が裁判に勝利すれば、病院側が訴訟を恐れて特定の患者を拒絶する可能性があるのではないかと危惧していると彼は述べました。
「それはとても危険だと思います」と彼は述べています。

 

経済協力開発機構の統計によると、2016年の日本には334,000を超える精神科病床がありました。
これは世界全体の5分の1であり、人口は半分未満に過ぎない日本で、米国の5倍にも相当します。
JPHAの山崎氏は、日本の精神科病床の定義は他の国よりも広いからだと述べています。

 

伊藤時夫氏は、精神科病院に入ると逃げるのがいかに難しいかを知っています。
彼は自身が健康だと感じていたにもかかわらず、約45年間も閉じ込められて過ごし、運命の気まぐれによって初めて解放されました。
現在、彼は彼の人生を奪ったとして政府を訴えています。

伊藤さんは、母親を幼い頃に亡くしました。
彼によれば、継母は決して彼を受け入れなかったそうです。
10代の頃、彼は日本の皇室と関係があるという妄想を抱き始めました。

 

16歳の時、彼は東京の精神病院に閉じ込められました。
彼は、彼を失神させるような頻繁な注射を与えられ、スタッフは、彼がわずかな言い訳でもしようものなら、罰として彼に電気ショックを与えたと証言しています。
彼は二度、逃げようとしましたが、その度に捕らえられました。

 

入院から5年後、彼は日本の福島県北東部にある病院に転院しました。
カウンセリングこそありませんでしたが、彼の薬は徐々に減らされ、20代前半には、彼は外の世界に再び戻る準備ができていると感じました。
「私は退院について尋ねましたが、すぐにそれが不可能であることに気づき、あきらめました」と彼は言いました。
伊藤氏は次の40年を病院の中で過ごすことになりました。

 

伊藤氏の運命は、2011年に日本海沿岸を襲い、病院を破壊した地震と津波によって変化しました。
彼は別の病院に移送され、そこで出会った医者はついに彼を解放させました。
61歳の時、彼は別の世界に出会ったのでした。

 

「私が退院したとき、私は完全に迷子になりました」と彼は言いました。
「ATMを見たり使ったりしたことはなく、電車の切符の買い方もわからず、携帯電話も使ったことがありませんでした」

伊藤氏は監禁中にほぼ完全に隔離され、年に一度だけ父親が訪れたそうです。
彼の継母と継兄弟が初めて彼を訪ねたとき、彼の父が2年前に死んだことを知りました。

 

「彼女は私が退院することにいつも反対していました」と彼は言いました。
「でも、今更彼らに腹を立てても意味がありません」

 

伊藤氏は、精神病棟の中の生活は「孤独という言葉を超えていた」と語っています。
彼を動かし続けた唯一のことは、毎日絵を描いたりすることだったと彼は言いました。
そして彼の最大の後悔は、結婚して自分の家族を持つ機会がなかったことでした。

 

「病院は金がすべてだった」と彼は語っています。
「そこにいたすべての患者に対して、病院は政府から年間500万円を受け取りました」
「無理やりそこに連れてこられて、46年間も飼われてしまったホームレスの男性のケースを知っています 」

 

伊藤氏は、政策の失敗を理由に政府に3300万円の損害賠償を請求しましたが、訴訟の主な目的は、不当に施設内に閉じ込められている他の多くの人々を救い出すことにあると語っています。
「私は、私と同じように、彼らに社会に戻ってもらいたいのです」

 

The Washington Post:2021年6月20日


原題:Tied down and locked away: Harrowing tales emerge from Japan’s psychiatric patients
引用:https://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/japan-mental-health-patients/2021/06/18/e07334f2-c2a7-11eb-89a4-b7ae22aa193e_story.html

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