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人は事実だけでは動かないのかも知れない

by 黒岩留衣
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地元はここ数日、暴風を伴った大雨が降っていて、庭先に植えた向日葵が一本折れてしまいました。

この向日葵は2メートル以上に育っていて、葉っぱも横幅が50〜60センチくらいありました。

もう少ししたら大きな花を咲かせてくれるだろうと思っていたので、強風で折れているのを見つけた時はショックでした。

さて今日は、昨日投稿した『アメリカには相当数のワクチン反対派がいる』という記事について、少し私見を書きたいと思います。

 

 

まだトランプ大統領が共和党の1候補に過ぎなかった頃、同じく共和党の1候補だったベン・カーソンとの討論会でのやりとりをご紹介しましょう。

トランプは討論会で「ワクチンの接種は重篤な副作用をもたらす可能性がある」と主張しました。

これに対し脳神経外科医であり、シャムの双生児の分離手術を成功させたことで知られる名医、ベン・カーソンはいくつかの研究レポートの存在を指摘して『それは科学的な見解とは言えない』と反論しました。

これに対し、トランプは「私の知人の2歳になる子供がワクチンを接種したのち、高熱を出した」と応酬します。

 

さて、このやりとりをCNN風にファクトチェックしたらどう判定されるでしょう?

おそらく彼らは、少なくともこの一連のやり取りでは、ベン・カーソンの主張に旗をあげるでしょう。

科学的な見地からの考察が『正しい意見』であるとしたならば、疑いなくベン・カーソンの主張の方が正しいはずです。

仮にトランプの言うように「知人の子がワクチンを接種した後に高熱を出した」という主張が事実であったとしても『ワクチンを接種』したことと『高熱を出した』ことの因果関係が立証されていないからです。

 

ところが、子供を持つ一人の親として考えた場合はどうでしょう?

もしも、大切な我が子がワクチンを打ったばかりに高熱を出したとしたら?

ふっと不安に襲われませんか?

 

勿論これは感情論であり、トランプの主張は直感と決めつけだけの発言に過ぎないのに、それでも人の不安心理を揺さぶることは十分にできるのです。

カーソンは人の『知性』に訴えたわけですが、トランプは『知性以外のすべての感情』に訴えたことになります。

 

メディアは事実を指摘することによって、人々は真実に覚醒し、望ましい行動を選択するに違いないと思っているように見えます。

ですが、人間は感情によって動く生き物であり、それほど知性的な存在ではないのかもしれません。

 

ワクチンの摂取についても、アンチ・ワクチン派は「ワクチンには何か得体の知れない副作用があるはずだ」と信じ込んでいるはずです。

そして、そうした『得体の知れない副作用』から我が子を守りたいのです。

そこへ学者たちが颯爽とエビデンスを積み上げて、実に論理的に『それは間違った考えです』と訴えても、親たちの共感は得られないかも知れません。

もしも彼らを説得したいのなら、いたずらに自分たちの主張を押し付けるより、彼らの不安心理を和らげ、代わりに何か共通のインセンティブを見出すことは出来ないでしょうか?

 

「ワクチンを打たなければ、コロナウイルスの蔓延は防げませんよ」ではなく「ワクチンさえ打てば、安心して子供たちを外で遊ばせるような社会がもどってきますよ」とか。

アンソニー・ファウチ博士は、人々がワクチンの接種を拒むことは『悲劇のレシピ』であると表現しましたが、裏を返せば、人々がすすんでワクチンを接種することは『安心のレシピ』だと言うことになります。

『悲劇のレシピ』を強調するより『安心のレシピ』をアピールした方が、親の共感を得られやすく、共通の目的に近づけるかも知れません。

 

事実だけで人は説得できないにしても、事実を元にした、人を説得するための道は開かれているように思います。

それはインターネット全盛の時代の課題として突きつけられている、社会の分断を乗り越える方法を見出すヒントになるかも知れません。

 

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