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その時、ソールズベリーで起こった惨劇

by 黒岩留衣
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木曜日、英国のニック・ベイリー捜査官は「ロシア政府を非難し、国際パートナーと協力して正義が確実に行われるようにする」と約束する英国のボリス・ジョンソン首相のツイートに対し、リツィートで応じました。

彼は、2018年3月に、英国南部ソールズベリーで起きたロシアの元スパイ親子の毒殺未遂事件で、最初に現場に駆けつけた捜査官でした。

ベイリー捜査官は「私はこのツイートに関して、言いたいことは沢山あります。だがそれを言っても虚しいだけです。私には何もできない」と書き込みました。

 

ニック・ベイリー捜査官

ベイリー捜査官の妻もジョンソン首相のツイートに応じました。

「ソールズベリーでの出来事からほぼ2年半が経過し、亡くなったドーンとその家族に正義はなく、また私たちにも正義はありませんでした。そして今、惨劇は再び起こりました」と彼女は書き込みました。

「政府はこれらの行動を非難する権利があるが、2年半後にそれを覚えていてくれるでしょうか?それが私たちの率直な気持ちです」

 

あの日、彼らの人生が大きく狂い、多くのものを奪われたその時、一体何が起こったのでしょうか?

これはソールズベリーで起こった惨劇の回顧録です。

 

 

英国の情報機関、軍事情報活動第6部(MI6)に機密情報を提供していたロシアの元スパイ、セルゲイ・スクリパリ氏と娘のユリアさんは2018年3月4日、ノビチョクを浴びて一時は意識不明になりました。

2人は命を取りとめたものの、ロシアと直接関わりのないドーン・スタージェス氏はノビチョクを浴びた後、約4ヶ月後に病院で帰らぬ人になりました。

 

ベイリー捜査官は家も車も失った

ベイリー捜査官は、スクリパリ氏の自宅でノビチョクに触れました。

ノビチョクは、玄関のドアノブに吹き付けられていました。

その日の勤務後、ベイリー氏は知らずに自宅を汚染してしまったといいます。

以降、ベイリー氏とその家族は、自宅に戻ることさえ出来ないままです。

 

ノビチョクは香水のボトルにつめられており、事件後にごみ箱から発見されました。

このボトルから神経剤を手首に吹き付けたことによりスタージェス氏は亡くなりました。

捜査当局によると、このボトルには何千人も殺せる量のノビチョクが入っていたということです。

 

セルゲイ・スクリパリ氏(右)と娘のユリアさん

事件当夜、ベイリー捜査官と同僚2人は町外れの閑静な住宅地にあるスクリパリ氏の自宅に派遣されました。

全身を覆う科学捜査用の防護服を身につけた3人の任務は、他の被害者がいないか確かめることでした。

この出来事が後にベイリー捜査官の人生を一変させることになるとは、3人は思いもしませんでした。

 

スクリパリ氏の自宅を訪れた数時間後、ベイリー氏は不調を感じ始めました。

「目がちくちく痛くなり、汗まみれになりました。暑いと感じました」ベイリー氏は当時の様子をそう話します。

「その時は、疲れとストレスからだと思った」

 

2日経っても体調は非常に悪く、ベイリー氏は病院に担ぎ込まれました。

「生きた心地がせず、混乱しました。何が起きているのかわからず、本当に、本当に怖かった」とベイリー氏は語りました。

 

捜査官はソールズベリーの病院に入院しました。

病院では医師らが、ベイリー氏は薬物中毒になったと判断、彼の体内にある毒に対して有効な解毒薬の正しい組み合わせを発見するべく奮闘を開始します。

 

同じ頃、ポートン・ダウンに近いイギリス国防省国防科学技術研究所の科学者たちは、ベイリー氏やスクリパリ氏親子に使われた毒物を特定するため昼夜を問わず働いていました。

科学者らが、毒物が化学神経剤ノビチョクだと理解した時は「開いた口がふさがらなくなるほど驚いた」と科学特捜班の主任科学者であるティム教授(仮名:捜査上の理由から非公開)は語っています。

ティム教授は「ノビチョクは知られている中で最も危険な物質の1つです。非常に低い濃度でも人を危険に陥らせることができます」と付け加えました。

 

防護服を着た捜査官

情報は直ちに医師団にもたらされ、医師らはベイリー捜査官に「あなたに使われたのは化学兵器のノビチョクです」と明かさなければなりませんでした。

「それは未知の恐怖でした。私は呆然とするしかありませんでした」とベイリー氏は話しました。

 

ソールズベリー病院の救急救命医は、これまでに取り組んだことのない事態に直面し、慄然としたと言います。

医師団の一人、ダンカン・マレー医師によると、ノビチョクの被害を受けた3人が全員死亡する可能性は「非常に現実的な予測」だったと言います。

その日以来、ベイリー氏の治療にあたる医師や看護師らは防護服を着用することを余儀なくされました。

 

ベイリー氏の治療は、痛みとストレスの両方に満ちたものになりました。

「治療の間中、私は意識だけはありました」とベイリー氏は述べています

「たくさんの注射を打たれました。どんな時でも、私の腕には5本か6本の点滴が刺さっていました。私の身体はほとんど何も感じなくなっていました」

 

スクリパリ氏親子とベイリー捜査官がノビチョクに触れた正確な経緯を割り出すための警察の綿密な調査は、2週間もかかりました。

最終的に、ノビチョクはスクリパリ氏宅の玄関ドアの取っ手に吹き付けられていたことが判明しました。

肌に危険物が触れないよう防護用手袋をつけていたのに、なぜ神経剤がそれをすり抜けたのか、ベイリー捜査官はいまだに分からないといいます。

 

亡くなったドーン・スタージェス氏

神経剤の被害に遭ったのは、ベイリー捜査官とスクリパリ氏親子だけではありませんでした。

ドーン・スタージェス氏と彼女のパートナーであるチャーリー・ロウリー氏は、英南部ウィルトシャー州アムズベリーでノビチョクに接触しました。

ロウリー氏は一命を取り止め、退院できましたが、スタージェス氏は被害にあった4カ月後の2018年7月に、手当の甲斐なく死亡しました。

 

「ドーン(スタージェス氏)と家族のことは気の毒に思います。私は病院を退院できたが、悲しいことに、彼女はそうならなかったから」とベイリー捜査官は話しました。

ですが、スタージェス氏の悲劇的な死は、事件のパズルを解く重要なピースを捜査当局に提供することになります。

 

発見された香水のボトル:ノズル部に特殊な加工が施されていた

その日、ロウリー氏は自宅近くのゴミ箱の中に香水のボトルを見つけました。

中にはまだ十分な量の液体が入っていました。

不幸なことに、彼はそれを自宅に持ち帰り、パートナーであるスタージェス氏に渡していたのでした。

 

それが人気ブランドの香水だと信じ込んだスタージェス氏は、試しに自分の手首にそれをいくらか吹き付けたのでした。

実際のところ、この香水のボトルはノビチョクを英国にこっそり持ち込むのに使われ、犯行後にそこに捨てられたものだと捜査当局は考えています。

 

捜査を主導するロンドン警視庁のディーン・ヘイドン副警視総監は、おそらく「数千人」の人々を殺害することが可能な「大量の」神経剤がボトル内にあったと話しました。

ヘイドン副警視総監は取材したBBCに対し「ボトルにあった神経剤の量と、スクリパリ氏の自宅にまいた手法は、完全に見境なしだ」と語りました。

「誰もが巻き込まれる可能性があった。もっと大勢の、それもロシアに無関係な無辜な市民が殺される可能性もあった」

 

捜査の結果、二人の容疑者が特定されましたが、警察は彼らの逮捕には至りませんでした。

クレムリンがこれを拒否したからです。

 

後に、ウラジーミル・プーチン大統領のユーリ・ウシャコフ政策顧問は、二人の容疑者は『観光目的でイギリスを訪れた』だけの『ごく普通の旅行者』だったと主張しました。

 


以下の記事を参照し、再編成して投稿しました

Skripal poisoning: Policeman’s family ‘lost everything’ because of Novichok:BBC
Skripal attack: Second Russian Salisbury suspect named:BBC
Police officer poisoned by Novichok in UK issues cryptic tweet on Navalny:CNN


 

投稿するために文章を整理していると、まるでスパイ小説を読んでいるかのようか錯覚に陥ってしまいます。

ここに書かれていることは小説家の作品の中の出来事ではなく、現実に欧州で、しかも英国で起こった出来事です。

当時のテリーザ・メイ英国首相は激しい表現でロシアを非難しましたが、EUはエネルギーの多くをロシアからの輸入に頼っていたことがネックになり、団結に失敗し、正義は実現しませんでした。

それがベイリー捜査官の無力感の主たる原因であると思われます。

 

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