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オーストラリアのリニューアルオープン

by 黒岩留衣
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シドニーのオペラハウスが再開しました。

市内のラグビーリーグ・グランドファイナルには約40,000人の観客が熱狂しました。

労働者は彼らのオフィスに戻るように促されています。

 

オーストラリアはパンデミックのサクセスストーリーの中心地になっています。

2600万人が暮らすこの国は、コロ​​ナウイルスの地域感染をほぼゼロにし、ヨーロッパと米国で感染が再び急増する中で、パンデミックの第二波を打ち負かしました。

カフェで乾杯する人々:メルボルン

火曜日、ホテルで検疫中の旅行者を除いて、オーストラリア全土で新しい症例は報告されておらず、先週の土曜日以来の感染者数はわずか7人でした。

現在18人の患者がコロナウイルスによって引き起こされる病気であるcovid-19で入院しています。

そのうちの1人は集中治療室にいます。

最近、ロックダウンから立ち直った、ウイルスの主要な営巣地だったメルボルンでは、10月30日以来、症例を報告していません。

 

一方、パンデミックを記録するボランティア活動団体「Covid 追跡計画」によると、米国では52,049人が入院し、10,445人がICUに入院しています。

アメリカの日々の新しい感染症例は月曜日に100,000人を突破し、その死者数は234,000人を超えました。

これは累積で907人の死者を記録したオーストラリアよりも人口が多いことを考慮したとしても、驚異的な数字です。

 

オーストラリア政府の対応の基礎となった悲観的な近未来予測を発表した、メルボルンに本拠を置くピーター・ドハティ感染免疫研究所の所長シャロン・ルーウィン氏は「まさか本当にゼロになるとは思ってもみなかった」と興奮を隠せません。

「私はノンストップで街に飛び出し、レストランを予約し、買い物をし、爪を整え、髪を切ってきました!」

 

北米、ヨーロッパ、インド、ブラジル、その他の地域や国が、毎日数万件の感染を制御するのに苦戦していますが、オーストラリアは、たとえ民主主義国であってもパンデミックを管理することが可能であるという事実を提示しています。

彼らの貴重な経験は、ニュージーランドのそれと相まって、ウイルスの封じ込めの成功が東アジア諸国、または権威主義的指導者のいる国に限定されないことも示唆しています。

 

専門家によると、オーストラリアの成功物語にはいくつかの実践的な対策が功を奏したと言われています。

この国は国境を迅速に、かつ厳密に封鎖することを選択しましたが、特にヨーロッパでは、このようないくつかの措置は講じられませんでした。

豪州保健当局は、発生を追跡して隔離するための人材を急速に増強しました。

また、米国のアプローチとは異なり、オーストラリアのすべての州は、州間および場合によっては州内の旅行者の移動を厳しく制限しています。

 

しかし、おそらく最も重要だったことは、イデオロギーの垣根を飛び越えて、指導者たちがオーストラリア人を説得し、パンデミックを早い段階で真剣に受け止め、かつて2度の世界大戦に巻き込まれた暗黒の時代でさえ、失われることのなかった市民権的自由権を放棄させる準備をしたことです。

 

ニューサウスウェールズ大学の疫学者であり、世界保健機関の顧問でもあるメアリー・ルイーズ・マクローズ博士は、一般の人々にこう説明しました。

「事態は深刻です。あなたの協力が欲しい」

 

マクローズ博士はインタビューで、党派的な対立の欠如がメッセージの有効性を大いに高めたと述べました。

保守派の首相であるスコット・モリソンは、すべての政党の垣根を越えて、州の指導者を集合させ、全国内閣を結成しました。

少なくとも当初は、政治的紛争は大幅に中断され、多くのオーストラリア人は、公衆衛生の危機を回避するために政治家たちが団結している奇跡を目撃しました。

「人々が誰に投票するかは関係ありません」

「ほとんどのオーストラリア人は、彼らの選んだ指導者が、国民と科学の信奉者に対して、真の配慮をしていることに同意したでしょう」とマクローズ博士はのべています。

「それはもう、劇的な効果がありました」

 

オーストラリア人の情念への意欲は、特に住民が州の命令による長期の封鎖に耐えなければならなかったメルボルンでは、米国の一部とは根本的に異なる政治的情景を映し出しました。

投票が中道左派または中道右派の政治指導者を交互に生み出すこの国では、政府は時に問題ではなく、社会全体が取り組むべきより大きな問題と見なされる傾向があります。

「おかえり、メルボルン」と書かれた看板の前で写真を撮る男性

 

オーストラリアの全国的な対応は、元マッキンゼー・アンド・カンパニーの経営コンサルタントであり、イェール大学を卒業したグレッグ・ハント保健相が主導しました。

ハントとモリソンは、現場の公衆衛生対策に責任を持つ州の指導者たちと協力して、パンデミックへの共通のアプローチを開発しました。

豪州政府は、2月1日にオーストラリアの中国からの旅行者に対する国境を閉鎖しました。

これは奇しくも米国のトランプ政権と同じ日の出来事でした。

しかし、主要な感染症アドバイザーであるアンソニー・S・ファウチ博士を継続的に批判してきたトランプ政権とは異なり、ハントは当初から公衆衛生の専門家に大きく依存していました。

 

「我々には、封じ込めと科学を組み合わせた明確な戦略計画がありました」とハントはインタビューで言いました。

「我々は国境を閉鎖し、テストし、追跡し、社会的距離の拡大に集中しました」

「我々は、プライマリーケアと高齢者ケア、および病院でウイルスと戦う能力を構築しました」

「人工呼吸器、ワクチンおよび治療法の研究に投資しました」

 

調整は必ずしも平坦ではなく、大きな問題も発生しました。

連邦当局は、メルボルンの極端な封鎖に不快感を覚え、州境の閉鎖が行き過ぎだと感じていました。

ハント、モリソン、および連邦保健顧問は、規則を緩和することを検討しました。

 

世論調査は厳しい対策への強い支持を示していましたが、多くの人々はひどい影響を受けました。

オーストラリアは29年ぶりの大不況に突入し、中小企業は閉鎖され、うつ病の患者が増えてしまいました。

 

そしてしばらくの間、帰国した旅行者を収容していたメルボルンのホテルでの緩いセキュリティが、7月に二度目の集団発生につながった後、オーストラリアの初期の成功物語は危機に瀕したように見えました。

8月までに、1日700件以上の症例が診断されました。

オーストラリア連邦政府はウイルスの制御を失う可能性があると誰もが思いました。

それでも彼らは鋼鉄の意思で奮い立ち、その場に踏みとどまりました。

 

そして封鎖から111日後、世界最長の封鎖は解除されました。

永遠に続くかと思えたメルボルンでの公的な生活は、ほとんど終わりを告げました。

111日間の封鎖の後、1日の平均症例数は5件を下回りました。

10月28日、州当局は住民が何らかの理由で家を出ることを許可しました。

 

オーストラリアは現在、市民と居住者の海外旅行を禁止しています。

これは、750万人の移民にとって特に厳しい決定です。

政府は、政府が投資した4つのワクチン試験の結果を待っています。

「ほとんどのオーストラリア人が、少なくとも来年の半ばまでには、ワクチンを利用できるようになるだろう」とハント氏は述べています。

 

 

Australia has almost eliminated the coronavirus — by putting faith in science

The Washington Post

オーストラリアには学生時代から付き合いのある友人がいるのですが、彼は(精一杯に美しい表現をかき集めれば)「こよなく自由を愛する奔放な精神の宿主」でした。

オージーのくせに、心から(動物の方の)パンダを愛した頑固者の彼も頑張ったのかな?

とにかくおめでとう。

でも、油断は禁物ですよ。

 

あなたの友人  黒岩留衣

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