2本の太いロープに括り付けられた黄色いプラスチックのバスケットに座って、私は地底へ降ろされました。
すぐに光が暗くなり、気温が下がりました。
カビ臭い匂いがあたり一面の空気を満たしていました。
唯一の音は、ロープを扱い「ゆっくり、ゆっくり」と叫んでいる上方の労働者からのものでした。
私はカイロの南約19マイルにある古代の墓地遺跡であるサッカラの埋葬場へと降りる竪穴の中にいました。
ここ数ヶ月、一連の発見が考古学の世界を魅了していました。
最も重要な発見は、考古学者が発掘した寺院が、これまで知られていなかった古代の女王のものであることを示す碑文に出くわした1月に遡ります。
女王の名前はネイト妃でした。
彼女は、4300年以上前にエジプト古王国の一部として統治した、第6王朝の最初のファラオであるテティ王の妻でした。
私は彼女の葬祭殿の下の墓所に降りてきました。
竪穴の真ん中辺りの壁はハニカム構造になっていて、大きな棚が彫られていました。
数千年前、それらはリネンと葦で包まれた塗装された棺とミイラを納めていたと思われています。
さらに降りると、竪穴が狭くなりました。
地底のすぐ上で、宝石のように壁に水が輝いていました。
バスケットが地面に触れました。
目は次第に暗闇に順応していきました。
床には2つの石灰岩の棺がありました。
おそらく2000年以上前に、両方とも損傷し、中身は略奪されていました。
誰がここに埋葬されたのでしょうか?
彼らの棺はどのようにして地底に降ろされたのでしょうか?
そして、盗掘者はどうやってこの場所をを知ったのでしょうか?
「我々の文明は謎に満ちています」と考古学チームのメンバーであるネルミーン・アバ・ヤジードは言いました。
「そして、私たちはこれらの謎の1つを発見したのです」
碑文が見つかる前は、テティ王にはイプト妃とクイト妃の2人の妻しかいないと考えられていました。
しかし、彼が3番目に娶っていた妻ネイト妃は、彼女自身の墓所で、それらの古代史が再考される時を静かに待っていたのでした。
「私たちは歴史を書き直しています」とエジプトで最も有名な考古学者であり、かつての考古学大臣でもあるザヒ・ハワス氏なら、きっとそう言うことでしょう。
古代の歴史は、最近エジプトの多くの場所で明らかにされています。
2月初旬、考古学者は、アレクサンドリア北部の都市の郊外にある古代寺院の場所で16人の人間の埋葬室を発見しました。
ミイラのうちの2人は金色の舌を持っていました。
エジプト考古学省の当局者によれば、それは彼らが「来世で話す」ことを可能にするという意味合いがあるとのことです。
その同じ月、世界最古と考えられている5000年の歴史を持つ大規模な醸造所が、南部の都市ソハグで発見されました。
研究者たちは、この古代のビールはエジプトの初期の王たちの埋葬儀式に使用されたとの仮説を立てています。
先月、古代キリスト教の集落の遺跡が、エジプトの西部砂漠にあるバハレイヤオアシスで発見されました。
この発見は、西暦5世紀の出家生活に新たな光を当てています。
そしてちょうど先週、考古学者は、ルクソールの南部の都市で3000年前の「失われた黄金の都市」を発掘したと発表しました。
これは、少年王ツタンカーメンの墓以来、最大の発見である可能性があります。
発見されるたびに、エジプト政府はより多くの観光客が到着し、外貨をもたらし、何百万人もの人々に新しい雇用を創出することを期待しています。
エジプトの観光依存型の経済は、過去10年間、2011年のアラブの春の蜂起後に発展した政治的混乱によって苦しんでいます。
サッカラの死者の都は、この国の願望と古代の秘密の中心地です。
それは古代の首都メンフィスの埋葬地の一部であり、現在はユネスコの世界遺産に登録されています。
サッカラでは、17人のエジプトの王が来世で復活すると信じて、彼らの遺骨と所有物を収容するためにピラミッドを建てました。
これらのピラミッドには、紀元前27世紀に建てられた、世界最古のジェゼル王のピラミッドも含まれています。
Netflixの映画「サッカラの墓の秘密」やナショナルジオグラフィックの「マミーの王国」のテレビシリーズに描かれている最近の発見は、世界の注目を集めています。
たとえば、11月には、考古学者が100を超える華やかに描かれた木製の棺を掘り起こしました。
その中にはミイラや、お守り、葬儀の彫像、マスクなど、その他の数十の遺物があります。
棺のいくつかは、私が降下中に通り過ぎた棚で見つかりました。
私が埋葬地の竪穴から出てきた後、ハワス氏は、この発見がファラオ時代の理解をどのように変えているかを説明し始めました。
「今、私たちは、これまで発表されたことのないテティ王の新しい妃の名前を追加することで、古王国の歴史に新しい章を書いています」と彼のトレードマークであるつばの広いインディ・ジョーンズ風の帽を身に着け、デニムのシャツとジーンズの上にクリーム色のサファリジャケットを羽織ったハワス氏は言いました。
しかし、新しい妃の出現だけでなく、考慮すべきことがたくさんありました。
ネイト妃はテティ王の娘でもあったのかもしれません。
ハワス氏の調査チームは、ネイト妃をファラオの娘と呼んでいる碑文も見つけました。
近親相姦は古代人にとって目新しいものではありません。
エジプトの伝承では、オシリス神は彼の妹であるイシス神と結婚していました。
ファラオは姉妹や娘と結婚したと広く信じられていましたが、それはテティ王の統治した第6王朝より後の治世でした。
「彼女は第5王朝の王の娘でしょうか?それともテティ王の娘でしょうか?」 ハワス氏は思考します。
「彼女がテティ王の娘であるならば、王が彼の娘と結婚するのは古代エジプトの歴史の中で初めてでしょう」
砂を少し歩くと、テティ王の遺産について、さらに多くのことが発見された別の埋葬シャフトがありました。
私はハワス氏と共に梯子を下り、地下36フィートに降っていきました。
一番下のウォークインクローゼットほどの大きさの空間に、木製の棺が山積みになっていました。
それらは青と赤の色合いで描かれ、いくつかは神々と女神の複雑なイメージで描かれていました。
それらはまだミイラを収めていたとハワス氏は説明してくれました。
そして故人の名前は腐敗した木片に書かれたそうです。
彼のチームはここで54個の棺を見つけました。
調査チームは、棺桶の碑文から、地下墓地をエジプト新王国の18王朝から19王朝までの遺物であると推定しました。
その発見は、紀元前1570年から1069年までの、サッカラのほとんど理解されていない期間に光を当てました。
テティ王は、新王国時代には神として崇拝されていたようです。
彼の信者の多くは彼のピラミッドの周りに埋葬されることを望んだようだとハワス氏は説明しました。
貧しい人々は単純な木製の棺に入れられました。
しかし、私が見たカラフルで華やかな装飾は、テティ王の裕福な信者のものでした。
棺桶の中には、来世で持ち運び、使用するためのミニチュアの木製ボート、ゲーム、陶器、小さな金貨が置かれていました。
小さな像やお守りには、神々やファラオの形や名前が記されています。
発見された遺物の中には、死者の書のテキストを含む長さ15フィートのパピルスの断片もありました。
これは、故人が冥界を通り抜けて来世に入るのを助けるために司祭によって書かれた呪文のコレクションです。
瓦礫の中に見つかった陶器の破片は、古代の生活の新しい詳細を明らかにします。
多くが輸入され、エジプトとパレスチナ、キプロス、クレタ島、シリアの間で貿易が盛んに行われた証拠です。
モハメド・マフムードは陶器を組み立て直して全体を作ります。
隣のテントでは、アスマー・マソウドが頭蓋骨やその他の骨を分析して、年齢と死因を特定していました。
彼女の隣の小さな木製の箱の中には、子供のミイラがありました。
「発掘調査と遺物は、サッカラが新王国で極めて重要であったことを示しています」とハワス氏は私に語りました。
「それらは、金持ちだけでなく、貧しい人々の間にも信仰があったことを教えてくれます」
ハワス氏は、より多くの謎に遭遇することをむしろ期待している様子です。
ここでの秘密を完全に明らかにするには20年はかかると彼は言います。
「どこかを掘ると何かが見つかります。ここはそういう場所なのです」
カイロからヘヴァ・ファールーク・マフフーズが寄稿しました。
The Washington Post:2021年4月23日
原題:In the tombs of Saqqara, new discoveries are rewriting ancient Egypt’s history
引用:https://www.washingtonpost.com/world/2021/04/22/tombs-saqqara-new-discoveries-are-rewriting-ancient-egypts-history/
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