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出口が見えない反人種差別運動

by 黒岩留衣
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まだ学生だった頃、学部の定期試験で一度だけ零点をとったことがあります。
零点は生涯初の出来事でした。
ごく普通の小論文型の試験で、試験科目は法哲学でした。

ごく普通に試験会場に行き、ごく普通に小論文を書いただけなのに。

 

何をどう書いて零点だったかは思い出せないのですが、その後、追試を受ける前に、教授室に呼ばれて30分ほど教授に説明を受けた記憶は鮮明にあります。
教授のお話は「正義と正義は対立する」という内容でした。

 

法解釈の世界では「正義と不正義」が対立するのではなく、単にそれぞれの立場によって正義の解釈が変わるだけであり、いずれの立場も正義であることに変わりはない、というお話を教授は時に笑顔を交えて語ってくださいました。

 

一つの正義(THESIS:テーゼ)と対立するもう一つの正義(ANTI-THESIS:アンチテーゼ)は永遠に平行線なのではなく、相手の主張を受け入れ、お互いの距離を縮めていく。

やがて、対立する二つの正義は接近し、融合し、一つの概念になり(SYN-THESIS:ジンテーゼ)、さらに別の正義と向き合うようになる。

そうやって法という社会科学は前進していく、と教えられました。

 

さて、世界で広がっている黒人差別撤回運動ですが、どうにも収束の道筋が見えてきません。

アメリカで黒人男性ジョージ・フロイド氏が警官によって殺害された痛ましい事件が悲劇だったことは疑いようもないことですが、一連の「反人種差別運動」が「絶対的・普遍的」な正義に置き換えられていて、これに異論や疑問を持つことさえ許されない状況に置かれているような気がしてなりません。

 

世界に広がる抗議運動は、おそらくは同時にコロナウイルスによる感染も拡大させると思います。

世界の多くの医療従事者の方々が、文字通りの意味で、命をかけて守ろうとした物が危険にさらされているはずです。

 

世界が危機的な状況にある現在だから、抗議活動もそれを踏まえて、時と場所と方法を選ぼうと主張すれば、「差別主義者の共犯者」とみなされるのでしょうか?

「自分たちに賛同しないものは敵だ」となるのでしょうか?

 

反黒人差別運動の向かう先が、結果として人種の分断を進めているような気がしてならないのですが。

 

 

 

 

 

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